D162 三津バイパスの事故の経過報告です! 22/12/7(水)
一般質問がいよいよ明後日(12/9)に迫ってきました。その一般質問の最後は11/8に起きた米軍関係者の交通事故についてのものですが、この件は今大きな問題となっています。永井は事故の発生以後この件に直接関わってきましたので、その報告をしておかねばなりません。
以下のような内容になります。またまた、長いです。
米軍三津バイパス事故 時系列整理 22/12/07
当日の経過
・11/8(火)18:10頃、三津バイパス間人側の最終コーナー(網野側から来て下り緩い右カーブ)、海遊という旅館の少し網野側で坂を歩いて登ってきた地元の老人(79歳)とシェネガの通勤ワゴン車の1台が接触。
・その日の日の入りは16:58で現場は真っ暗。月食の夜でした。
・ワゴン車の左前サイドミラーが破損(ガラスが割れて散乱)、老人は左目上部(瞼)を負傷。
・老人は通常の服装で夕方の散歩として路側帯のあたりを歩いていたらしい。
・車のブレーキ痕なし。完全なドライバーの前方不注意。大事故にならなかったのが不思議なくらいの極めて危険な人身事故である。
・警察は連絡を受けて事故現場に来て写真を撮るなどの調査をし、救急車を呼び、家族に連絡をした。
・老人はその場から救急車で運ばれ弥栄病院で検査、軽症であろうとの診断。傷にテープを貼ってもらった。家族は弥栄病院で事故の状況、医師の診断(軽症だが様子を見るように)を聞いた。
・警察はその時、相手方の処罰を望まれますかと、被害者の家族に聞いた。その際相手が米軍関係なのでややこしくなりかねない旨の事を言った。家族は特にそれは望まないと応えた。警察は負傷の診断書云々の手続きの話(出さなければ物損になる)をこの時にしていない。その時治療費は支払わず(向こうの保険で出されるだろうと警察に言われた)に帰宅した。
・海遊の方から連絡を受けた近くに住む被害者の親族の方は、現場に行って(ちょうど救急車が出たところ)その場に立ち会った。海遊の少し先に事故の車が止まっており、米軍関係者、警察関係者がたくさんいて、警察に親族である事を話すと家族の連絡先を聞かれ教えた。
その後の経過
・11/9(土)朝、親族の方は現場へ行って散乱したサイドミラーのガラスの欠片を拾い、落ちていた場所に白墨で丸を書いておいた。
・11/9(土)、防衛局より京丹後市へこの事故について「物損事故である」と報告があった。
※防衛局はこの日、京丹後市より情報があって米軍へ確認したところ接触事故があったが負傷はない旨の報告を受け、それを市へ伝えたと言っている。
※一方、京都府警はこの日防衛局から問い合わせがあり「軽いケガをしているようだ」と回答したと言っている。
・11/11(金)の午後にNはこの事故のことを親族の方より聞いて、夕方暗くなってから現場を確認。現場当たりのアスファルトに白墨で白い丸がいくつも書かれていた。
・11/11(金)の夜、Nは市の基地対策室長にこの事故の事を確認すると、「物損事故と聞いてます」とのことだった。
・11/13(日)の午前10時半頃に軍属のドライバー本人と基地の責任者と米人通訳が被害者宅を訪問して謝罪。保険で全て対応しますとのこと。保険屋からも連絡があった。
・11/13(日)昼頃、Nはご家族と連絡を取って事故の状況を聞かせていただく。その後、シェネガの駐車場を確認。いつもの通勤の2台のワゴン車のうちグレーのわ6630の方がいない。代わりにわ8282が駐まっていた。
・11/14(月)午前中、現地連絡所へTEL。担当の青年が出て、「事故の件、何も聞いてません。調べて後日連絡します。」とのこと。
・続いて基地対策室へTEL。「事故の概要が分かった。11/8の事故はシェネガの通勤ワゴンだ。連絡所は何も知らんと言ってる。」と伝えると、「防衛局からは物損だと聞いてます。」とのこと。「人に当たってるのに物損? 僕は紙一重の重大事故だと思うよ。」と言う。
・11/16(水)11:30頃、島津シェネガ駐車場、わ6630が復活していた。
・11/17(木)夕方、現地連絡所長よりTEL。「米軍より事故の情報はありました。軽微なものであるので詳細は不要とのことです。」と言う。Nの調べた事故の概要を伝え、「とても軽微とは言えない大変な事故である。再度局へ米軍に聞き直せと言ってくれ。」「上には伝えます。」というやりとり。「僕は看過できないので12月の一般質問で取り上げるよ」と伝える。
・11/18(金)、井上哲士参議院議員の事務所と防衛省の事故の件についてのやりとりが届く。防衛省からは「11/8(火)18:30頃三津178号路上で米軍の車と歩行者の接触事故があったことは承知している。歩行者負傷の報はない。」とのこと。
・11/19(土)昼、ご家族にTEL。「防衛局はケガはないと言っています」と伝えると、「それはないでしょ!」との言葉。医者の診断は軽いケガで絆創膏を貼っておくけど頭を打ってもいるし今後の様子も気をつけてくださいとのこと。警察も米軍もそのことをよく分かっているはずなのに、と立腹されておられた。診断書を取られた方がいいですよとアドバイス。
・午後、基地対策室長にTEL。「三津の事故の件その後は?」と問うと、「防衛からは軽微な物損と聞いてます、それ以上は何も聞いてません。」ということで11/14の問い合わせ以降何もしていない感じ。「防衛省が歩行者との接触事故を認めている。被害者も家族も分かるけど」と言うが、室長は「私は捜査する立場でもないし、お聞きしても・・・。」というやりとりあり。室長はこの後この件を市長に伝えたか・・。
・11/21(月)、市長は市民から人身事故の情報を得たとして防衛局へ問い合わせた。
・11/25(金)夕方、対策室より事故の件で急いで話がしたいと連絡あり。都合が合わず、明後日11/27(日)ということにする。この日、Nの一般質問通告が確定。
・11/27(日)午後、基地対策室の2名と総務部長計3名と話す。総務部長が警察対応のフローチャートを示して、警察は診断書が出なければ物損事故扱いということです、と説明。Nより被害者の情報などを伝えて、家族は診断書を提出する意向のようだと伝える。防衛局との事故の情報についての約束は、人身事故は軽重を問わず報告されることになっています、とのこと。その一方、伝聞だけで市が被害者に接触してどうこうは言えません。当人側からの相談があればいくらでも話に乗りますがとも。※この後、話の内容を市長に報告した様子。
・11/28(月)朝、防衛局企画部長が市長を緊急訪問、「被害者の負傷が判明しました。人身事故です。」とのこと。その後防衛局の一行は、同じ内容を「安安連」の委員さん方へ伝えて回る。※この日まで事故から20日間。
・この日の午後、ご家族から診断書が京丹後警察へ提出される。 ※防衛局の人身事故への変更は、診断書の提出とは関係なくなされている。
・この日の夕方、対策室の2人が被害者宅を訪問(Nが仲介)。市は初めて当事者から直接の話を聞く。
・11/30(水)、毎日新聞にこの件の記事が出る。市長は11/28に防衛局に抗議したとのこと。
・11/30(水)「安安連」33。市長は11/19(土)に市民から「負傷している」と聞いて11/21(月)に防衛局に「そういう情報があるが」と問い合わせた。防衛局の茂籠局長は、11/9に事故があり人と接触はあったがケガはないという米軍の情報を得てそれを市にも伝えた(11/9)が、その後主体的な情報収集をしなかった。11/21(月)に市から人身事故の話が来て関係機関に調査し11/25(金)までに負傷を確認し府へ報告。11/28に市に報告。「受け身の対応を反省している」と謝罪。市長は、人身事故はどんなものでもしっかり情報提供するのがR2年12月の合意であるのに今回のような事は遺憾であると述べ、被害者へのケアと今回の経過を検証するよう要求した。
・市長は、防衛に厳しく迫り、局長は素直に謝罪し反省していると回答させたが、一連の市の対応については何も言わず。また、「安安連」で米軍や府警からのこの件についてのコメントはなし。それを聞く者もなし。
・12/1(木)、毎日新聞に昨日の「安安連」33の記事が出る。
・防衛局長の報告では、事故当時事故車は時速20kmで走っていたとのこと。これは米軍でなければ分からない情報だが、あの場所をあの方向にこの速度は極めて不自然かつ危険である。
・12/2(金)午前中、近畿中部防衛局管理部業務課事故担当にTEL。
①11/9(水)に軍属の車と人との接触事故あり、負傷はなしという情報を得て市へ伝えた。
②その後いろいろな情報がいろいろなところからあって、11/25(金)に人身事故と確認しその日に府へ、11/28(月)に市と「安安連」委員に直接伝えた。
③いろいろな情報の中に11/21(月)の市長からのものも入っているが、いちいち誰からとかは言えない。11/14や11/17のNの情報の扱いについても言えない。
③11/9(水)以降受け身の対応に終始したこと、R2年12月の市との約束を実行できていなかったことを深く反省している。今後は地元の情報等にも積極的に耳を傾けたいと「安安連」で述べさせてもらった。
④市からはまず被害者のケアをと言われ、連絡を取って会っていただけることになった。
⑤市長の今回の事態の検証要望については、現在どうするかを相談している(まだ何もしていない)。
⑥現場については11/28(月)に市を回った時にその場を通っただけ。連絡所がそこを直接確認したかどうかは知らない。
・12/3(土)昼前、防衛局の担当者3名が被害者、家族に会いに来て謝罪。事実認定が遅れて申し訳ない。お困りのことがあれば現地連絡所へ。親族よりあそこで時速20㎞はどう考えてもおかしいの指摘あり。
※シェネガの通勤車は事故現場を通常時速50km~60kmで走っている。
・12/4(日)、毎日新聞に前日の防衛局謝罪の記事。
★問題点の整理
1,警察
・11/9(水)、前日事故の現場調査を行い被害者を救急車で弥栄病院に搬送させておきながら、人身事故として扱わず、まともな説明もせず、被害者・家族にしっかり確認をせず、軽微な物損事故として処理しようとしたように思われる。
・警察は米軍関係者の事故について市民が事故に遭っても府にも市にも何も報告しない。
- 何故京丹後警察は市民の側でなく米軍の側に立って客観的な情報を出さないのか?
2,米軍
・11/9(水)、11/8の事故の内容を人身と分かっていながら防衛局へ物損事故と報告をした。
・11/13(日)、運転者と責任者と通訳が被害者宅に謝罪に行き、保険対応も知らせたが、物損事故での処理は変えようとしなかった。
- 何故米軍は素直に人身事故と伝えないのか?
3,防衛局、現地連絡所
・11/9(水)、米軍(警察もか・・)の物損事故報告をそのまま鵜呑みにして市へ報告した。局長はこの報告で人との接触は伝えたと言うが、市は物損としか聞いていないという。どちらかが事実と異なる。
・11/17(木)、11/14(月)のNの問い合わせへの連絡所長の回答は「軽微な事故なので何も情報はありません(言えません)」と言い切る。それに対してNが「明らかな人身事故である。再度米軍に確認せよ」と要望すると「上に伝えます」と言った切り何も連絡なし。
・11/18(金)、防衛省は井上事務所からの質問に「歩行者との接触事故であったが、負傷の報はない」と回答。この回答の根拠はどうであったのか。 ※11/17(木)のNの情報はどう扱われたのか? 所長はどう動いたのか?
・11/21(月)、防衛局は京丹後市長より「人身事故ではないのか」の問い合わせを受ける。これでようやく動き出したか・・。
・11/28(月)、京丹後市へ防衛局の企画部長が出向いて、人身事故と説明。何故今頃(20日も経っている)になったのかの詳細な説明なし。関係機関に確認して判明というだけ。
・11/30(水)、「安安連」33で防衛局長が「受け身の対応であった」と謝罪するも、何故市民の声を無視してきたかの説明はなし。市長から今回の事態の検証を要望されるも12/2段階で未だ相談中とのこと。
・12/3(土)にようやく被害者・家族に直接会い謝罪をした。
- 何故防衛局は米軍の話を鵜呑みにし、市民の情報を聞こうとしないのか。また、警察に詳細な情報提供を求めないのか。
4,市、対策室
・11/11(金)の夜に室長はNから人身事故の情報を得たが、防衛局の物損事故ということだけで十分と考えたか・・。
・11/14(月)、室長はNから「島津のシェネガのワゴンと人が接触した人身事故だ」と指摘されたが、積極的に動こうとはしなかった。
・11/19(土)、室長はNより、防衛省は車と人との接触を認めた、被害者も家族も分かっているがの申し入れに、応えようとせず。
・11/21(月)、室長の報告を聞いた市長は初めて防衛局へ人身事故の確認をした。
・11/26(土)、対策室と総務部長の3人がNの所へ来て初めて事故の詳細や警察、防衛局、米軍の対応の詳細を知った。この時も市からは(伝聞情報だけで)被害者に対してアクションはできないと言った。
・11/27(日)、対策室は前日の報告を受けた市長から指示を受け、ようやく11/28(月)の夕方に被害者と家族に会いに行った。
・11/30(水)、「安安連」33で市長はR2年12月の約束を無視する事態で遺憾であると防衛局を非難したが、対策室が何度も市民の情報を受け入れなかったことには触れていない。
・また、「安安連」の場には米司令官も府警の担当も来ているのに、両者からはコメント何もなし、それを市が質すこともなし。
- 何故対策室、市は市民の情報を軽視し市民の立場からの対応をできないのか?
今のところ、以上です。
一般質問では5分ほどでこれをどう聞いたものか・・。
22/12/7(水)夜