D207 市議選結果分析、永井の闘いを振り返る! 24/5/5(日)

 その名の通りのGWとなりました。晴天の3日続き、丹後全域がお客さんで賑わっています。永井は、4/30(火)に先日の市議選の収支報告書を選管に提出して(たぶん一番乗り、〆切は5/6)一応選挙がらみの手続き諸々を終えました。あとは5/7(火)に供託金の返還手続きを残すのみです。

 一方で、選挙結果全体の分析と自分自身の闘いの総括をしなければなりません。それがこの数日で何とかまとまりましたのでご報告をすることにします。

1,今回の選挙の全体の特徴と永井の位置

・まずは、言うまでもなく市長選が無投票当選となり、その影響がもろに出て投票率がドンと落ちたこと。前回の68.3%より8.96%ダウンの59.34%という低さです。本市の有権者は10人のうち4人以上も選挙に行っていません。

・6町別の投票率を見ると、丹後町がトップで67.25%、永井の地元宇川は更に高くて69.67%(703/1007)でした。因みに5人も候補者のいた網野町は55.97%で最低でした(網野町は何故か毎回最低の投票率です、前回も62.83%)。

・一方で有権者数は4年前より2,556人減っていて(△5.6%)、投票者数の総数は前回より5,605人も減って、20,5571人となっています。

・そういう状況の中で票数を伸ばした方々を見ると、しっかりした組織をバックに持つ方々がまず目立ちます。共産党の4名の方(田中、平林、橋本、源の4氏)は、投票者が5,600人も減る中、前回の4名分より100票も増やして全員当選を果たされました。国政への批判が追い風とはいえ見事な結果です。

・また、公明党の松本氏が2030票でトップ当選(前回2032票で2位)というのもさすがの一語に尽きます。

・自民党及び自民党系の皆さんが9名当選された(桜井、東田、和田、野木、小牧、吉岡、中野、谷津、池田の9氏)のも、選挙戦の終盤に府選出の国会議員団(本多、西田、吉井の3氏)が丹後に入られる組織をあげての支援がしっかり成果を上げられたということでしょう。

・その一方でそういった組織を持たずにしっかり票を延ばした(前回より350増の1323票)の鳴海氏には手放しで脱帽です。

・現職候補13人は全員当選しましたが、そのうち8人が票を減らしています。個々には上げませんが、永井は982票で前回1145票より163票もの減ですが、この8人のうちでは少ない方からから3番目です。

・2期目の4人のうち鳴海氏を除いた3人(和田、多賀野、永井)が相当数の減票で、2期目のジンクスは確かにありそうです。

・永井の982票の内訳は、永井の想像では宇川430、宇川以外の丹後町300、弥栄90、久美浜70、網野、峰山、大宮が30ずつくらいか、これで980となります。

・永井の982票ですが、総投票数に占める比率を計算してみると3.84%で、前回の同比率の3.67%(1,145/31,176)と比べると何と比率では0.17%高いという興味深い数字もあります。

 以上のような分析から、永井の982票は、「低投票率」、「組織なし」、「2期目のジンクス」に抗ってそれなりに健闘したということにしておきます。

2,永井の闘い 永井は何をやったのか?

 今回の選挙を見据え、永井はどのような政治活動と選挙活動を行ったのかを振り返ります。

政治活動 「京丹後宇川の風」の活動として議員としての活動報告と対話

・2月始めより議員活動報告の地域回り、丹後町全部と弥栄町の一部を合計で、約2400軒、対話約1100人(丹後町1800軒、900人。弥栄は600軒、200人)。

・地域懇談会(2月下旬)、4会場で参加者約20人。「宇川の風」の集い(3月末)、参加者約30人。 

・宇川街宣、市内街宣(3月下旬)。

・朝立ち、15回。

・4/12(金)に「宇川の風」のチャレンジ通信16号を全市に新聞折り込み。

選挙活動 事前を含めての選挙戦

・事前のスタッフ会議は計7回。

・初日にポスター貼り、5チームで3町を回る。3町は持ち合い。

・一週間の選挙戦では6町を回り、合計174カ所で辻立ち演説。

・朝立ち、7回。

・丹後町の有権者全員を確認。選挙ハガキは丹後町全戸1500軒と各自の500軒で上限2,000枚を郵送。

・選挙ビラは、4/17(水)に丹後町、弥栄町、久美浜町の一部、合計3,850枚を新聞折り込み。

・選挙公報には、自分のやりたいことの前に、市政監視の視点5点を掲げ、自らの連絡先等も全て公開した(何故か永井以外の方はどなたも連絡先がない)。

・スタッフは7日間コミコミでのべ約50人の方にお世話になった。

・永井の個人的なTEL、SMS、ライン、メッセンジャーなどを使って支持の働きかけ数十人。知人は多いが特定政党と重なるため、この程度となります。

・電話作戦は私的な支援グループに協力をいただいて、弥栄町全域と久美浜の一部をやっていただいた。

3,永井の得票の伸びなかった原因の考察

 永井は以上の取組の上に立って、前回(1145票)以上の得票を得ることを目標とし、それが実現できると選挙最終日の午後8時には確信していましたが、結果は全くそうはなりませんでした。

 以下その理由の分析。

① 投票率の低下 

・市長選が無投票となったことなどから選挙に行く人の絶対数が大きく減少した。投票率は9%減、投票者の絶対数にして5,605人の減少である。

② 2期目の油断、気の緩みと言われるもの

・スタッフ、支持者に「永井は大丈夫、まあ滅多なことはない」という意識が蔓延して積極的な支持拡大に足が出なかった。

・「大丈夫」という言葉には、「大丈夫だから私くらい別の人に入れても・・」ということにさえつながる恐ろしさがある。

・候補者は実績への自信と地域回りと発信から必ず票を積めると確信したが、それは甘かった。

・4年間で16回発行してきたチャレンジ通信の読者は全市にそれなりにあって、よい手応えを相当に感じていたが、新聞をとらない人達(特に若い世代)にはまるで未知の人でしかないという認識が弱かった。

・選挙最後の2日間に、市政への批判と自分の実績を訴えて「前回よりも多く」と強気の辻立ち演説を繰り返したが、これは大きな失敗であった。

・批判と実績を訴えるのはよいが、「だからといって評価と選挙は別です。2期目は危ない。大丈夫が地獄を招く、是非ともご支援を!」と下手のお願いを特に最後は繰り返すべきであった。この教訓は2期目以降の選挙では「鉄則」と思われる。 

③ 発信への過信

・チャレンジ16号と選挙ビラが票の拡大に繋がると思ったが、そうでもなかったか・・?

・これは客観的な分析ができないが、読んでイヤな人も確実にいるということは心得ておくべきである。

④ 「評価する」と「応援する」と「支持する」の見方の甘さ

・「評価する」は5割、「応援する」は8割、「支持する」は9割の投票行動へと思っていたが、実感としては、「評価する」は良くて2割、「応援する」は6割、「支持する」は8割が投票への実態であろう。

・特に「評価する」は、相手が保守系であったり、特定の政党などの支持者であったりした場合、最初から別の支持対象者がおられるわけで、逆に自分の側の候補への肩入れを強めるということに繋がる。「評価」は票には全くならないと胆に銘じておかねばならない。評価されるのは悪い気はしないが、それと選挙は全く別物である。

 以上のようなことが複合的に作用した結果が982票となったと思うと、もっと減っていても納得できる。それなりにコアなサポーターが全市的にいてくれているということであろう。

4,最後に今回とても困ったこと

・とにかくポスター貼りの段取り。政治的要因(?)で議員のポスター組合を組めず。個人対応となった。

・賄い方の弁当の数。多めに注文したが毎日数個が余り、最後は家族で食べることになった。

 以上、永井の独りよがりな総括です。この内容をスタッフにも見てもらおうと思っていますが、皆さん忙しいのでムリなことはお願いできません。

 因みに永井の選挙事務所は最終日(4/20)終了後の「皆さんご苦労さんでした。お世話になりました」という食事会が最後で、結果判明後の(テレビでよく見る)イベントとかその後の集まりは一切やっていません。事務所も選挙カーも翌日投票日の午後に解体しました。

2024/5/5(日)午後

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